2024-25シーズンから始動したリーグH(エイチ)。「世界で戦えるハンドボールリーグを目指す」を指針に掲げ、アジアNo.1、そして世界トップレベルの舞台を目指し熱戦を繰り広げる。
その中で、大崎オーソル埼玉は大崎電気工業の男子ハンドボール部として、1960年の創部以来、数々の国内タイトルを獲得し、日本ハンドボール界を牽引してきた名門。クラブOBの小澤広太監督が指揮を執り、スローガン「Re: OSOL」のもと、日本一奪還を目指している。
今回は、チームをまとめるキャプテン・末岡拓美選手と、地元・埼玉県出身で期待の若手として存在感を放つ松原敦希選手にこれまでのキャリアと大崎オーソル埼玉に入るまでの経緯を聞いた。
父が元日本代表のサラブレッド
ーーお二人がハンドボールを始めたきっかけをお聞かせいただけますか?
父が元ハンドボール選手で、その影響もあり始めました。もともとはサッカーをしていたんですが、中学から本格的にハンドボールにのめり込みました。
末岡 選手
自分は幼馴染に誘われて、小学2年生から始めました。サッカーや野球も体験しましたが、ジャンプしてシュートを打つ感覚が楽しくて夢中になりました。
松原 選手
ーー末岡選手は長崎のご出身で、サッカーが盛んな地域だと思います。ハンドボールの道に進まれたのはお父様の影響とのことですが、どのような影響を受けたのでしょうか?
父が瓊浦(けいほ)高校のハンドボール部の監督をしていて、サッカーの練習が休みの日に母から「ハンドボールの体験をしてみたら?」と言われてやってみたら楽しくて。そこからハマっていきました。最初は父のような指導者になれたらと思っていましたが、福岡大学で多くの試合に出場できたことが大きかったです。
周りの方から支援の声もいただけたことで、プレイヤーとしての意識が芽生えました。その時に、ハンドボールを「選手」として続けていこうと決意しました。瓊浦高校から福岡大学への進学は父と同じ道でしたが、父のキャリアを超えていきたいという目標を持ちました。
末岡 選手
ーー松原選手は埼玉出身で高校は浦和学院に進学。強豪で過ごした経験は?
中学生の頃から立てていた目標が「浦和学院に行く」ことで、もし行けなかったら辞めようと決めていました。高い目標を立てることを意識していて、今このチームでプレーできているのも、当時からの積み重ねがあったからだと思います。
松原 選手
ーー末岡選手はお父様と同じく瓊浦→福岡大→大同特殊鋼というキャリアを歩まれました。こちらは意識されていたのですか?
高校では父のもとでプレーしたい気持ちがありましたが、同じ道を辿るつもりはありませんでした。大学から声をかけてもらって結果的に同じ進路になった感じですね。実業団では父と同じチームに入ることが「親孝行になるかもしれない」と思って決めました。
末岡 選手
ーー進路などで何かアドバイスをもらうことはありましたか?
特にありませんでした。「自分がやりたいことを優先しなさい」とだけ言われていました。一番相談したのは移籍を考えていた時でしたね。その時は「自分がどういう人生を歩みたいかを優先して考えろ」と背中を押してもらいました。
末岡 選手
名門大崎は「憧れの存在」
ーーお二人の中で「ハンドボールで生きていく」と決意したのはいつですか?
大学時代、U-19日本代表に選ばれ、世界と戦った時です。父は五輪に出場していなかったので、「自分が五輪に出たら父を超えられる」と思い、そこから本格的に意識し始めました。
末岡 選手
私もU-21日本代表として世界選手権に出場した時に「このレベルで戦いたい」と思いました。実際に入ってみるとレベルの高さに驚いて(笑)。
松原 選手
いやいや、大活躍中ですよ(笑)。
末岡 選手
今はたくさん吸収しているところです。
松原 選手
ーー松原選手は地元・埼玉の出身ですが、大崎電気の試合はよく見に行っていたのでしょうか?
小学生の頃によく観戦していました。そのころは強さも全盛期で何度も優勝していて、憧れの存在でした。当時は自分がそこに入るとは思っていませんでしたが、今振り返るとずっと目標にしていたのかもしれません。
松原 選手
ーー末岡選手は大同特殊鋼から移籍という形でこのチームに加わりましたが、その経緯を教えてください。
僕らの世代にとって「大崎電気」は憧れのチームでした。移籍を決めた時、同じ瓊浦高校出身の岩永生さんが監督で、以前から声をかけてもらっていたんです。必要としてくれたことが大きかったです。
当時は強かった時代を支えた選手が一気に抜け、新しくチームを立て直すタイミングでした。だからこそ自分にもチャンスがあったと思います。もし主力が残っていたら、入れなかったかもしれません。運が良かったと思います。
末岡 選手
ーー松原選手は、若い頃から馴染みのあった大崎電気に実際に加入してどのような印象を抱きましたか?
とにかく元気で明るいチームだと感じました。練習でも試合でも誰かが必ず声を出していて、チーム全体で鼓舞し合う雰囲気が魅力です。
松原 選手
ーーどの競技でも、1年目に入った選手は「プロの壁」を感じることが多い印象があります。松原選手はレベルの高さについてはどう感じましたか?
入団当初は学生の感覚のままで、最初は苦労しました(笑)。でも今は「誰にも負けない」という強い気持ちを持って日々練習しています。
松原 選手
抱いた互いの第一印象は?
ーー末岡選手は、移籍組としてこのチームに入った時のことは覚えていますか?大同特殊鋼時代からの変化は感じましたか?
大同は「チーム全員で戦う」ことを大事にする文化がありました。大崎はもっとクールで強い印象を抱いていたんですが、実際はリーダーシップを取る選手が多くて驚きました。小澤さん(現監督)をはじめ、先輩たちの姿からたくさんのことを学びました。
末岡 選手
ーーちなみに、お二人の最初の接点はいつでしたか?松原選手は末岡選手についてどう思いますか?
初めて知ったのはYouTubeで代表戦を見ていた時です。末岡選手の活躍を見て、名前も顔も覚えていました。実際に会ったのは大崎に入ってからで、最初に話しかけてくれた時からすごく優しくて、「頼れるお兄ちゃん」という印象でした。
松原 選手
ーー末岡選手は、松原選手の第一印象を覚えていますか?
彼が加入した時に3人の新人が入ってきたんですが、「良い選手が来てくれたな」と思いました。松原選手もそうですが、神初(真郁)選手、林原(空翔)選手とみんな真面目で、自分の役割をしっかり理解している印象でした。
大学を出てすぐにプロの世界で存在感を出すのは簡単ではありません。生活がかかっている分、「試合に出たい」「勝ちたい」という気持ちを前面に出すのが普通です。でも社会人チームでは上下関係もありますし、いきなり自己主張を出すのは難しい。その中でも松原選手はよくやっていて、最初から物おじせずにプレーしていました。
今ではチームに欠かせない存在で、エースポジションとして活躍しています。もっと自分を出してもいいと思うし、最近は発言も増えてきて頼もしいですね。
末岡 選手
ーー松原選手は、今の末岡選手の言葉を聞いていかがですか?ご自身ではもう少し存在感を出していきたいと感じていますか?
まだ自分が目指しているレベルには全然達していません。チームとしてプレーオフ優勝を目標にしているので、もっと力をつけていきたいです。練習や試合で思うように力を出せないこともありますが、1日1日を大切に取り組んでいきます。
松原 選手
この続きの後編は近日公開予定です!大崎オーソルの特徴やチームとして目指す場所、埼玉への思いなどを語っていただきました。