瀬古 樹は、独特なプレーヤーだ。これはストーク・シティFCに移籍する以前、川崎フロンターレでプレーしていた2024年までの印象である。
当時の川崎は、現在鹿島アントラーズを率いる鬼木 達監督のもと、攻撃的なサッカーを志向していた。中盤には攻撃性や技術力の高い選手がそろう。その中で瀬古は、例えばレーダーチャートで能力を示す場合、正多角形に近い形になるタイプだった。
一見、特長はつかみづらい。しかし、瀬古がピッチにいるとチームが円滑に回る。プレー面で何でもこなすだけでなく、周囲とコミュニケーションを取りながら、その瞬間チームに何か必要なのか、何が最善なのかを適切に判断する能力にも長けていた。
川崎に加入した当初、2022シーズンの序盤こそ、川崎のスタイルに合わせようとし過ぎて自身を見失いかけたが、育成年代で在籍した三菱養和SCでの「自分というサッカー選手を作るのは自分自身」という教えを思い出し、自分らしさを取り戻した。
川崎で瀬古と2年間ともにプレーし、奇しくも同じタイミングで浦和レッズに加入した山根視来は、かつての瀬古の印象をこう話している。
「『川崎ってこういうサッカーだよね』というものがクラブの中や見ている人たちの中にありますが、その中でも『そうなんだけど、自分はこれが強みだからここは曲げないよ』というものを持っている選手だなと思っていました。僕が在籍した最後の年(2023年)なんかは、そういう部分がすごく頼もしかったですし、自分もプレーが悪くなったときに、彼みたいに思いっきりプレーすることが必要だなと思っていました」
また、瀬古自身も海外でのプレーを経験しながらも変わらなかったこだわりについて聞かれると、「先ほど山根選手が言ってくれたように」と前置きしながら、こう続けた。
「チームに染まりすぎず自分の特長をしっかり出すところです。サッカーはチームスポーツなので、規律や監督が求めていることはしっかりとチームとして遂行する、ただ自分にしかできないプレーは必ずあるので、そこはブラさないということはやってきました」
独特な雰囲気は、ピッチを離れても同じだった。試合後の取材対応でも、例えば個人のプレーを賞賛されても「そう言ってもらえるのはうれしい」と受け入れるだけでなく、「でも、◯◯ができなかった」と課題を口にする。ネガティブな意見を言われても、自身の考えと異なるなら明確に主張するタイプだった。
19日の新加入会見でも、幼少期を埼玉県川口市で過ごしたことから「小さいころから近くに浦和レッズというクラブがあった」と話しつつ、「埼玉でサッカーをしたことがないので、ファンだった、ということはないです」と笑顔ながらもはっきりと話すところが瀬古らしかった。
だが、今の瀬古はあのときのままではない。
「自分としては何か攻撃や守備に突出していることはないと思っていますけど、チーム全体が円滑にボールを進めていくこと、守備であれば全員でしっかりプレッシャーにいけること、前と後ろのつなぎ役というのが僕のできることではないかと思っています」
自らの特長を改めて説明した一方、イングランド2部に相当するEFLチャンピオンシップでリーグ46試合中24-25シーズンは25試合、25-26シーズンは43試合に出場した経験についてこう話している。
「(当時の川崎とは)全く逆のコンセプトがあるリーグに飛び込みました。Jリーグのころを思い返すと、できていなかったと思う部分が少しは改善されたりとか、逆にそこが伸びている部分について、やっている自分にはなかなか分からなかったことが、シーズンが終わっていろいろな方とお話をしたりすると『変わったね』と言ってもらえるところもありました」
そして、堂々と続ける。
「僕が浦和レッズでプレーしたときに『川崎フロンターレにいたときの瀬古とは違う』と思っていただけたら」
2年前から何が変わったのか。どんな成長を果たしたのか。Jリーグでプレーすることにより、その変化は鮮明に映るに違いない。そして、浦和レッズでどんなプレーを見せてくれるのか。どんな化学変化を起こすのか――。
ストーク・シティ時代と同じ、しかし日本では初めてとなる12番を背負う瀬古の新章が楽しみだ。
(取材・文/菊地正典)
当時の川崎は、現在鹿島アントラーズを率いる鬼木 達監督のもと、攻撃的なサッカーを志向していた。中盤には攻撃性や技術力の高い選手がそろう。その中で瀬古は、例えばレーダーチャートで能力を示す場合、正多角形に近い形になるタイプだった。
一見、特長はつかみづらい。しかし、瀬古がピッチにいるとチームが円滑に回る。プレー面で何でもこなすだけでなく、周囲とコミュニケーションを取りながら、その瞬間チームに何か必要なのか、何が最善なのかを適切に判断する能力にも長けていた。
川崎に加入した当初、2022シーズンの序盤こそ、川崎のスタイルに合わせようとし過ぎて自身を見失いかけたが、育成年代で在籍した三菱養和SCでの「自分というサッカー選手を作るのは自分自身」という教えを思い出し、自分らしさを取り戻した。
川崎で瀬古と2年間ともにプレーし、奇しくも同じタイミングで浦和レッズに加入した山根視来は、かつての瀬古の印象をこう話している。
「『川崎ってこういうサッカーだよね』というものがクラブの中や見ている人たちの中にありますが、その中でも『そうなんだけど、自分はこれが強みだからここは曲げないよ』というものを持っている選手だなと思っていました。僕が在籍した最後の年(2023年)なんかは、そういう部分がすごく頼もしかったですし、自分もプレーが悪くなったときに、彼みたいに思いっきりプレーすることが必要だなと思っていました」
また、瀬古自身も海外でのプレーを経験しながらも変わらなかったこだわりについて聞かれると、「先ほど山根選手が言ってくれたように」と前置きしながら、こう続けた。
「チームに染まりすぎず自分の特長をしっかり出すところです。サッカーはチームスポーツなので、規律や監督が求めていることはしっかりとチームとして遂行する、ただ自分にしかできないプレーは必ずあるので、そこはブラさないということはやってきました」
独特な雰囲気は、ピッチを離れても同じだった。試合後の取材対応でも、例えば個人のプレーを賞賛されても「そう言ってもらえるのはうれしい」と受け入れるだけでなく、「でも、◯◯ができなかった」と課題を口にする。ネガティブな意見を言われても、自身の考えと異なるなら明確に主張するタイプだった。
19日の新加入会見でも、幼少期を埼玉県川口市で過ごしたことから「小さいころから近くに浦和レッズというクラブがあった」と話しつつ、「埼玉でサッカーをしたことがないので、ファンだった、ということはないです」と笑顔ながらもはっきりと話すところが瀬古らしかった。
だが、今の瀬古はあのときのままではない。
「自分としては何か攻撃や守備に突出していることはないと思っていますけど、チーム全体が円滑にボールを進めていくこと、守備であれば全員でしっかりプレッシャーにいけること、前と後ろのつなぎ役というのが僕のできることではないかと思っています」
自らの特長を改めて説明した一方、イングランド2部に相当するEFLチャンピオンシップでリーグ46試合中24-25シーズンは25試合、25-26シーズンは43試合に出場した経験についてこう話している。
「(当時の川崎とは)全く逆のコンセプトがあるリーグに飛び込みました。Jリーグのころを思い返すと、できていなかったと思う部分が少しは改善されたりとか、逆にそこが伸びている部分について、やっている自分にはなかなか分からなかったことが、シーズンが終わっていろいろな方とお話をしたりすると『変わったね』と言ってもらえるところもありました」
そして、堂々と続ける。
「僕が浦和レッズでプレーしたときに『川崎フロンターレにいたときの瀬古とは違う』と思っていただけたら」
2年前から何が変わったのか。どんな成長を果たしたのか。Jリーグでプレーすることにより、その変化は鮮明に映るに違いない。そして、浦和レッズでどんなプレーを見せてくれるのか。どんな化学変化を起こすのか――。
ストーク・シティ時代と同じ、しかし日本では初めてとなる12番を背負う瀬古の新章が楽しみだ。
(取材・文/菊地正典)

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